私の履歴書
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国際交流支援部会メンバーの方は原稿を杉浦に送っていただければ作成いたします。 特定のフォーマットはありません。
担当:杉浦 ycedar0@gmail.com
■ 長澤 智一
所属施設・所属部署 | UNIVERSITY of COLORADO HEALTH, Cardiology Cardiac Cath Lab |
出 身 地 | 滋賀県 |
学歴 | 大阪ハイテクノロジー専門学校 Spokane Community College |
職歴 | 兵庫医科大学病院 国循環器病センター Memorial Hospital, CO U.S.A. Cleveland Clinic, OH U.S.A. UNIVERSITY of COLORADO HEALTH, CO U.S.A. |
現在の業務内容 | カテーテル業務(心臓、脳、血管、EP、ハイブリッド) |
所属学会 | 日本臨床工学技士会、徳島県臨床工学技士会 |
海外渡航経験と(目的) | アメリカ(留学、就職) |
渡米した動機 | 国立循環器病センターのオペ室では、DrとARなど英語の略語で話し血行動態を頭だけでなく体で理解すようになっていたとき、英会話をなんとかしたいと思っていたが、なかなか上達しない状況に、いっそうのことアメリカで英語を強制的に話す環境に行こうと思った。そして、きっとアメリカでの病院でも就職できるのではないかと(超楽観的に)思い、その第一歩として留学を決意した。 |
周りの反応 | 『あいつはアホや、国立循環器病センターを辞めるんや!』が大半の反応だった。関西人です!😀 |
日本との違い | 文化が違うので、日本の常識は通用しない所 日本側から見ると、アメリカ人は「おおらか」すぎるところが多いように見えるが、逆にアメリカ側から見ると、日本人は、きっちりとしすぎているように見える。 |
後輩達へひと言 | 正直、アメリカにチャレンジすることは、いばらの道です。 ご結婚されている方には、お勧めしません。キッパリ! 独身の方は、『苦労は買ってでもしろ』と言われるように、是非チャレンジしてほしいと思います。得るものは大きく、多いです。 |
今後の目標 | 日本臨床工学技士会と密に関わり、アメリカの専門分野に特化した教育を日本へ伝え、更にアメリカにチャレンジする臨床工学技士を増やしたい! |
■ 吉岡 淳
所属 | 山形大学医学部附属病院 臨床工学部 |
出身地 | 東京都 |
学歴 | 山形大学大学院医学系研究科 医療政策学講座 |
職歴 | 順天堂大学医学部附属順天堂医院 胸部外科 山形大学医学部附属病院 臨床工学部 |
業務紹介 | 医療機器管理、集中治療室業務、高気圧酸素療法 |
所属学会 | 日本集中治療医学会、日本呼吸療法医学会、日本医療機器学会(代議員、国際委員)、日本臨床モニター学会(評議員)、ACCE(American College of Clinical Engineering)、AAMI(Association for the Advancement of Medical Instrumentation)、AARC(American Association for Respiratory Care) |
海外渡航経験とそれらの目的 | アメリカ(ロングビーチ、フィラデルフィア、ニューヨーク、ラスベガス、デンバー、タンパ)、韓国 国際学会への参加および発表、海外施設見学 |
英語を勉強したキッカケ | 私は以前から「英語が話せるようになったら国際学会で発表しよう!」と考えていました。しかしこの考えだと、いつまでたっても発表できませんでした。そこで、英語を全く話せませんでしたが、とりあえず辞書を片手に英語の抄録を書き、国際学会での発表に挑戦をしました。すると、運良く(悪く?)採択されてしまい、あとは我武者羅に英語を勉強するよりほかありません笑。英語を道具として使わなければならない環境に“強制的に身を置くこと”が英語を勉強する一番の近道だと思います。 |
海外発表への思い | 【英語での発表はそんなにたいした事ではない】ということをここに明言します!作成したスライドもしくはポスターには既に英語(文字)が書かれています。会場のネイティブさんは、文字を見ながら聞いているので、私のツタない英語でも文字から理解をしてくれました。また、質問の際も、私たちがネイティブではないことを理解していますから、ゆっくりと簡単な英語を使いながら分かりやすく、時には何度も、優しく聞いてくれました。私たちも日本で外国人から道を尋ねられたら、教え方を丁寧にゆっくりと説明すると思います。相手がよく分からない日本語をしゃべっていても笑ったりしませんよね。一生懸命に理解しようとするはずです。これは英語を話すネイティブさんも同じです。一生懸命考えながら頑張って英語を話している日本人がいれば、ネイティブさんは一生懸命理解してくれようとしてくれます。だから、会話も成立しやすくなります。ということで、英語での発表もなんとかなりますので思い切って挑戦してみてください。 |
海外発表への道 | 国際学会の発表形式には、演壇で話す口頭(Oral)発表と、ポスター(Poster)発表があります。Posterは、相手が目の前にいるので何度も質問を聞き返せますし、相手と一緒にポスターを指差したりして会話ができます。とてもフレンドリーな関係で発表をすることができます。一方Oralは、会場からマイクを通して質問がされ、何度も聞き返せる雰囲気もなく、ポスターを指差して身振り手振りで説明するわけにも行きません。最初は、Posterから始めることをお勧めします。またPosterは2時間くらい自分のポスター周辺に立っていないといけません。少しでも自分のポスターに興味を持ったような人、ちょっとでも目のあった人には自分から思い切って話しかけましょう。無料の英会話教室を開くことができます。しかもマンツーマンレッスンです笑。少しでも若いうちに国際学会での発表を経験することはとても将来のためになりますよ。 |
海外発表の裏テクニック | 国内の学会でも、緊張や勉強不足から質問に答えられない時があります。私も初めてのOral発表の時(20代)は、3つの質問をフロアからいただきましたが一つも答えられずに、共同演者の先輩CEが全て答えてくれました泣。今では、年を重ね、ズル賢さを備えると、分からない場合には、「今はそのデータを持ち合わせていないのでお答えできません」「その通りですね。参考にいたします。ありがとうございました」など、逃げる手段も得てしまいました笑。英語の場合にはどうすれば良いでしょうか。安心してください、意外と答えられちゃいますから。発表ではトピックスが狭い範囲に限定され、ましては自分の得意分野になります。ある程度の関連単語は既に調べて理解していると思います。そのため、通常の日常英会話以上に、相手の話(質問)をキャッチしやすいのです。Unfortunately, 英語でOral発表して…質問が来て…どうしても分からない時には… I have no idea.ではないですよ。「私の英語が不十分なので上手くお答えできません。セッション後にもう一度、質問していただいても良いですか。」などと、あらかじめ英文を用意しておくのもアリかと思います。例えば、 I am nerves about my English, so I sorry that my understanding is bad. Please ask me again after session. Why don’t we have a seat and talk it over. ※ 私たちの母国語は日本語ですし、ナーバス、ソーリーなど言う必要ないはかもしれませんね。 そして、発表後にゆっくりとお話をして、名刺交換をすれば、帰国後に辞書を片手に英文を作成して相手へメールもできます。そこから、友情も芽生え、海外CEのお友達もできるかもしれません。私はこの手法で海外CEの友達を数人ゲットしました♪ |
英語を勉強しようと考えている方へ | 英語を勉強中、これから勉強しようと考えている人ほど、国際学会での発表を目標にして欲しいと思います。そして「TOEIC 300点台でも国際学会で発表してきたよ」なんて自慢して欲しいと思います。それを聞いた若手CEたちの希望と憧れになるでしょう。最後に、日本臨床工学技士会国際交流委員会企画のAAMIツアーに参加すると英語により一層と興味を持ち、帰国後は英語の勉強を熱心に始めると思います。同行している国際交流委員会の委員たちが海外のCEたちと英語で対等に話している姿を見ると刺激を受けます。私は昨年、一緒に同行しました国際交流委員会委員の井桁委員(飯塚病院)を見て、男ながらに惚れてしまいました。今では勝手に「英語の師匠」と崇めています。最近では、なんで井桁委員は臨床工学技士なのにここまで英語がしゃべれるのかだんだん腹が立ってきました(嘘です)。いつか「井桁委員のように英語がペラペラになるぞ!」と目標を持ちながら石川遼くんのスピードラーニングを聞いています♪ |
English is money (Time is money) | 英語を習得するには時間とお金がかかります。しかし、自分への投資だと考えましょう。お金と知識と資格は力です。荷物はたくさん持てば持つほど邪魔になり重くなります。しかし、お金と知識と資格はいくらあっても大丈夫!邪魔になりません。今後は、お金を英語へ転換させましょう〜 |
■ 安部 貴之 (あべたかゆき)
所属 | 東京女子医科大学 臨床工学部 東京都臨床工学技士会 理事 日本血液浄化技術学会 国際委員会 委員 NPOいつでもどこでも血液浄化インターナショナル |
簡単な学歴 | 2002年 志学館高等部 卒業 2008年 帝京平成大学 卒業 2013年 日本大学大学院 修士課程 修了 |
海外ボランティア | NPOいつでもどこでも血液浄化インターナショナルの活動に参加させてもらい、兵藤 透先生(えいじんクリニック)、小久保謙一先生(北里大学)、楢村友隆先生(純真学園大学)と共にベトナム、ミャンマー、カンボジアにて透析施設の視察と各施設の透析用水、RO水、透析液の水質調査と、透析装置のメンテナンスを実施(2014-2015) http://ubpi.kenkyuukai.jp/about/ |
NPO CREATIVE ACTの活動に参加させてもらい、ラオス国における市民の健康診断と現地医療施設の視察を実施(2015)
http://www.geocities.jp/hardboiled14/
・セミナー講師
カンボジアにおける透析関連専門職育成支援会議 (Japanese Assistance Council of establishing Dialysis Specialists system in Cambodia)において、川西秀樹先生(あかね会)、若井陽希先生(麗星会)が中心となり開催されたintensive seminarにて、HD・HDF・HFの治療について、抗凝固薬について、血液回路についての講義において講師を務める(2015)
http://www.cambodia-dialysis.com/pdf/cambodiaseminar150329.pdf
・医療施設視察
東京都臨床工学技士会 福利厚生委員会の企画においてタイ王国の医療施設(JCI取得病院及び民間透析病院)の視察を実施(2015)
・国際学会への参加・発表
2012
58th ASAIO (58th Annual Meeting of American Society for Artificial Organs)
Evaluation of the Usability of Dialysis Machines by Measuring Eye Movement
2013
31st ISBP (31st Annual Meeting of the International Society of Blood Purification)
Improvement of work manual for blood purification using gaze point information
2014
7th ISHD (7th Congress of the International Society for Hemodialysis)
Comparison of biocompatibility between the two polysulfone dialyzers on change of white corpuscles, blood platelets, and a related factor
51st ERA-EDTA (51st European Renal Association-European Dialysis and Transplant Association)
Solute Removal Characteristics of Hemodiafilter under Back-filtration Conditions
・執筆
Clinical Engineering Vol.24 No.8 (分担執筆)
学研メディカル秀潤社 2013年8月 ISBN:978-4-7809-0245-7
国際学会体験記−ASAIO 58th Annual Conference−
・活動を通して感じた事
我が国の臨床工学技士は、世界で通用する。日本で培われた英知を、医療機器・材料と共に国外へ提供することは、世界的な医療の質向上に繋がる。インフラ、医療制度が異なる途上国において、現地条件を考慮した医療の質・安全の向上を担える医療職として活躍の場が存在すると感じている。また、先進的な技術を学び、新たな工夫やシステムを習得することで臨床工学領域の発展が加速するのではないかと思う。
臨床工学技士は今後、世界に出ることが重要である。国際的な視野を持って学術活動に取り組むこと、途上国での技術支援を需要として顕在化することが必要だと感じた。
■ 園川 龍毅
所属施設・所属部署 社会医療法人雪の聖母会 聖マリア病院 臨床工学室
出 身 地 福岡
学歴 H23年博多メディカル専門学校卒業(旧・福岡医科歯科専門学校)
職歴 H23年~H27年聖マリア病院 臨床工学室
業務内容 透析業務
所属学会 日本臨床工学技士会、福岡県臨床工学技士会
海外渡航経験とそれらの目的 中国・ニュージーランド(ともに留学)
日本との違い 中国に関しては留学を通して、温厚で明るい方が多く、「一度会えば皆兄弟」のような気さくな人々が多かった。また、人口13億5千万人の壮大な人々が織り成す、様々な格差の中で一人一人がしっかりと独立したものの考え方を持っていると感じた。場合にもよるが、時折それが日本人にとっては我が儘であるように見えたり、不躾な行為であると捉えられたりすることが多いような気がした。
ニュージーランドに関しては、独特の自然と触れ合え、また多宗教国家(移民が多く)であり、様々な文化やものの考え方を持つ人々が、上手に折り合いをつけて生活していて皆、日本に対してはとても友好的であった。勝手な偏見だが、皆、日本車が大好き。
中国(その他海外)の臨床工学(技士)について 中国には現在、工程士会という上海腎臓病学会及び中国医院協会の主管する技士の組織が発足している。この集団は現在、臨床にはほとんど参加しておらず、主には院内の水処理装置関連の管理を行う専門集団として活躍しており、近年、中国において水道関連・透析関連の法整備が進むにつれ、透析関連医学会が技士の専門性に注力してきた現状がある。
我々日本の臨床工学技士(以下CE)が海外でどのように活躍または連携ができるか。 日本臨床工学技士会では現在、「透析分野における日中技術交流事業」として中国の主たる透析関連学会で日本の水処理に関する講演や日本における臨床工学技士制度や透析技術認定士に関する紹介を行ってきた。また、工程士会の訪日施設見学への協力を行い、現場での臨床工学技士の役割に関し様々な角度から技士の重要性を訴えかけてきた。その甲斐、あってか近年の中国の透析医学会では、技士のセッションにおいて日本の臨床工学技士がメインの講演を務めることが多くなったと感じているところである。
一般社団法人福岡県臨床工学技士会ができること。 私が、中国との交流活動を担当するようになって2年が過ぎたが、中国では工程士会とはいっても、中国のあまりに広い国土ゆえに存在する問題が多々あると感じられた。実際、工程士会としての活動メンバーは北京及び上海といった大都市から構成されていることがそのほとんどであるため、理想としては県技士会として、どのような組織体で活動を行っているかを整理し、中国でも生かせる体制づくりをバックアップしていけることが工程士会の発展に寄与できる方法であるのではないかと思われる。また、水処理に関する学術的な知識や透析関連の知識に関しても大いに議論し、中国への情報共有を呼びかけていく必要があると感じられた。
今後のCEについて。アドバイスなどがあればお願いします。 近年、中国という名前が日本のマス・メディアでよく取り上げられるようになったが、その内容に関してはあまり良い印象では無いことが多い、しかし、この2年あまり日中での交流活動を行ってきた立場からいうと、少なくとも工程士(技士)や医学会(医師)の彼らは日本の臨床工学技士に対し、真摯に自分達のお手本として、教えを受ける立場として、私が留学中に経験してきた我が儘な中国人とは違う一面で接していただいた。
願わくば、今後耳や目にする国際交流委員の活動を日本の臨床工学技士の一人一人に自分たちがお手本である事を自覚し、真摯に受け止めていただきたい。
※本内容に関しては、あくまで私見であり日本臨床工学技士会・国際交流委員の総意ではないことを追記する。
■ 本名(旧姓:近内)愛 (ほんな あい)
生年月日 1979年
現住所 福島県郡山市
簡単な学歴 東北文化学園専門学校(仙台) 臨床工学科卒業
簡単な職歴 財団法人太田綜合病院附属太田西ノ内病院 ME室
青年海外協力隊
ベリーズ カールヘルシュナーメモリアル病院(KHMH)メンテナンス部
財団法人太田綜合病院附属太田西ノ内病院 ME室
株式会社メディサン
資格・認定 臨床工学技士
派遣された年次 平成16年(2004)度2次隊
派遣国の簡単な紹介 中南米、カリブの国ベリーズは、1981年にイギリスから独立した比較的新しい国です。面積は日本の四国ほどの大きさで、人口は約32万人です。様々な人種が混在し、共存しあって生活しているのが特徴です。自然(ジャングル)が多く残り、マヤ遺跡もいくつもあります。
参加した一番の動機 日本ではないところで、長期間生活してみたいという思いが小さい頃からあり、協力隊への参加希望が膨らみました。また、募集説明会で出会ったOBの方の目が皆、大変いきいきしていて、私も同じようになれたらと思い、応募しました。
周りの反応 大変びっくりしていました。同時に『ベリーズって国なの?どこにあるの?』と何度も聞かれました。
派遣中の感想
(良かったこと、困ったことなど)日本の常識(当たり前とおもっていること)は世界では通用しないという事を肌で感じることができたことです。また、現地で生活することで多くの友人(ベリーズ、日本、中国、カナダなど)を築くことができ、喜怒哀楽を一緒に分かちあい、より絆を深められました。
困ったことは、サンドフライと呼ばれるすごく小さい蚊です。痒さで刺されたことに気づく・・・それくらい小さいものです。
帰国してからの進路 帰国後、以前の病院に再就職、その後現在の会社に転職
後輩達へひと言 行きたいと思ったときがその時です。チャンスを生かして、ぜひ参加してみてください。いろいろトラブルはつきものですが、どうにかなります!(協力してくれる人は現地にも日本にも必ずいます。)
■ 柏原 勝彦(かしはら かつひこ)
生年月日 | 1967年9月12日 |
現住所 | 岡山県岡山市 |
簡単な学歴 | 1988年3月 国立高松工業高等専門学校機械工学科卒業 2007年3月 放送大学教養学科卒業 2009年3月 岡山大学大学院卒業 |
簡単な職歴 | 1988年4月 テルモ株式会社入社 2001年4月 光生病院入社(在籍中) |
資格・認定 | 4級アマチュア無線技士 1級小型船舶操縦免許 呼吸療法認定士 臨床ME認定士 |
派遣された年次 | 11年1次隊 |
派遣国の簡単な紹介 | ソロモン諸島(ヤシの木が生えた南の島) |
参加した一番の動機 | 青年海外協力隊には以前から憧れはありましたが、英語が苦手だった私には夢の話でした。協力隊説明会に参加する機会があり、隊員OBから「派遣中に現地の 人に道を聞いたら、自分の目的地の反対方向にもかかわらず、1時間以上の道を歩いて案内してくれた」という話を聴き、これだ!!途上国の素朴な人々の話に 感動して、自分の探している何かがあると直感して協力隊に参加する事を決心しました。 |
周りの反応 | 妻→試験に受かったら行ってもいいよ(受からないと思っていたらしい、合格後はよき理解者に!!) 親族→妻と2歳の娘を残し仕事をやめて参加する事に大反対!! |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 日本の常識が世界では常識では無いと気づいた事、困った事は忘れました。 |
帰国してからの進路 | 以前より臨床業務に興味のあったため病院に就職 |
後輩達へひと言 | せっかく生まれてきたのだから、死ぬときにやらなかった事を後悔しないように色々な事にチャレンジしてみましょう!! |
■ 錦 麗絵(にしき かずえ)
生年月日 | 7月15日 |
現住所 | 東京都 |
簡単な学歴 | 専門学校 臨床工学科卒業 |
簡単な職歴 | 名古屋エキサイ会病院 臨床工学技術部 青年海外協力隊 医療機器隊員 ニジェール国派遣 名古屋大学医学部附属病院 臨床工学技術部 海外コンサルタント会社勤務 |
資格・認定 | 臨床工学技士 |
派遣された年次 | 16年度2次隊 |
派遣国の簡単な紹介 | ニジェールはアフ リカ西部の内陸部に位置し、日本の約3倍の大きさを有していますが、その2/3はサハラ砂漠が占めています。人口は約14,630,000人。公用語はフ ランス語で、その他ザルマ語やハウサ語となどいくつかの現地語があります。最貧国と言われる国の1つで、栄養失調やマラリアなどによる死亡率も高く、村で は未だに伝統医療が主流となっており、医療施設での診療が浸透していないのが現状です。 |
参加した一番の動機 | 旅行好きが転じて「もっといろいろな国の人と話がしたい!→まずは語学を学ばなければ→日本で学ぶよりも実際に現地に行った方が早く取得できる」と、考えるようになったとき、偶然青年海外協力隊の説明会のパンフレットを発見。その時点で私には運命的な出会いを感じました。 |
周りの反応 | 「私、ニジェールに行くことにした!」と親や友達には事後報告。親からは大反対されると思ったけれど、逆に励まされました。そして父親には「行けてよかったな。いい経験になるぞ。」と背中を押されました。 |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 私にとってかけが えのない出会いがありました。現地で働くフランス人の産婦人科医で、産婦人科クリニックの院長である傍ら、休日にはエイズ専門病院へ訪問し無償での診療 と、医薬品の提供を行っていました。時には重症患者を自分の病院へ搬送し無料で入院治療させるのです。これはほんの1例であって、特別な事ではなく、当然 のように行われている事を知り、自分の不甲斐無さを感じました。「自分にできる事」、何があるのか分かりませんが、微力ながら「自分にもできる事」が何か あると信じ、模索しながら現在の自分がいます。様々な人との出会いの中で学ぶことは無限にあると強く感じました。 国際協力に無知だった私にとっては、青年海外協力隊は国際協力の導入として最適であり、国際協力への道の体験入学だったと思っています。 |
帰国してからの進路 | 帰国してからは再度国際協力の道へ進むことも考えましたが、今後の進路を考える時間・自分の技術を磨く時間として日本での臨床現場の道を選択。復帰3年 後、やはり国際協力の道へ進みたいと思い海外コンサルタント会社へ転職。現在もアフリカを中心とした海外での仕事をしています。 |
後輩達へひと言 | 「協力隊に参加してみたいなぁ」と思ったときがベストタイミングです。今しかできないことを今やらないと後悔しますよ。 |
■ 後藤 智(ごとう さとる)
生年月日 | 1979年06月04日 |
現住所 | 兵庫県 |
簡単な学歴 | 1998.04 川崎医療短期大学 臨床工学科 入学 2001.03 同 卒業 2010.04 姫路獨協大学 医療保健学部 臨床工学科 四年次編入 2011.03 同 卒業予定 |
簡単な職歴 | 2001.05 医療法人三栄会 ツカザキ病院 入職 2006.12 同 退職 2007.03 青年海外協力隊 ブルキナファソ国 派遣 2009.03 同 任期満了 2009.04 医療法人三栄会 ツカザキ病院 再入職 |
資格・認定 | 臨床工学技士 3学会合同呼吸療法認定士 透析技術認定士 医療機器情報コミュニケータ |
派遣された年次 | 18年度3次隊 |
派遣国の簡単な紹介 | ブルキナファソは西アフリカに位置する内陸国で、サヘル地帯にあたる。主要産業は農業(粟、とうもろこし、綿及び牧畜)。 |
参加した一番の動機 | 小学校の社会科の授業で「青年海外協力隊」を知り、海外で井戸を掘りたくなったのが最初。その後、参加する手段として臨床工学技士の資格を取得。 |
周りの反応 | 職場の方々は温かく送り出してくれた。 |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 右手は食事、左手は排便に使用。 |
帰国してからの進路 | 退職した職場に再就職、大学へ四年次編入。 |
後輩達へひと言 | 正直、参加することにより失うモノはあると思います。しかし参加して得られる新たなモノは、自身の活動次第では失うモノを大きく上回る可能性があると考えます。 |
■ 福田 恵子(ふくた けいこ)
生年月日 | 1974年4月30日 |
現住所 | 大阪市 |
簡単な学歴 | 1995年3月:川崎医療短期大学 医用工学科(現臨床工学科)卒業 2003年9月:Central College / Business of Diploma(Accounting) |
簡単な職歴 | ・1995年4月~2000年8月:三栄カルディオ山陰販売勤務 鳥取県東部主要病院の循環器科にて、PCI・ペースメーカー・アブレーションなど立会。 ・2004年7月~現在:エムシーヘルスケア㈱勤務 会社契約病院にてMEセンターを発足し、院内全ての医療機器の一括保守管理業務。 |
資格・認定 | 臨床工学技士・ME2種検定試験・医療機器修理業責任技術者基礎講習・医療機器修理業責任技術者専門講習・TOEIC:795点(日常会話レベル) |
派遣された年次 | 19年度2次隊 医療機器 ムバレ国立レファラル病院 |
派遣国の簡単な紹介 | アフリカ東部の赤道直下であるが標高が1400メートルと高く、ナイル川の源流のビクトリア湖に面した緑豊かな国、ウガンダ。 |
参加した一番の動機 | 臨床工学技士として他国でボランティア活動がしてみたかった。アフリカに行ってみたかった。 |
周りの反応 | 最初、両親は呆れて変人扱いをしてきたが、JICAという国の機関でボランティアをするということを説明したのち、協力的になり応援してくれるようになった。 |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | ・良かったこと:日本以外の国での医療の現実を経験でき、かつ現地病院スタッフが協力的でありチームで仕事ができた。オペ室での立会や眼科などでの修理など、広範囲に仕事ができた。 ・困ったこと:ガーゼなどの消耗品や薬などがいつも欠品しており、手術もなかなか予定どおりに終わらなく、3歩進んで2.9歩下がるという感じだった。 |
帰国してからの進路 | 現職参加制度を利用したため、帰国後すぐ会社契約病院にて勤務スタート。 |
後輩達へひと言 | やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいいと思い、まず第一歩を私は踏み出しました。 |
■ 吉野 洋(よしの ひろし)
生年月日 | 1980年1月14日 |
現住所 | 千葉県東金市 |
簡単な学歴 | 北里大学医療衛生学部卒業 |
簡単な職歴 | みさと健和病院(約5年勤続) |
資格・認定 | 臨床工学技士、三学会合同呼吸療法認定士 |
派遣された年次 | 平成19年度4次隊 |
派遣国の簡単な紹介 | 東アフリカのビクトリア湖北縁に位置するアフリカの真珠と呼ばれたウガンダ |
参加した一番の動機 | 自分を厳しい状況に置き、心身・技術とも磨きをかけたかったのが一番の動機 あとはとりあえず人の笑顔を見たかった |
周りの反応 | いつかは行くんではないかと思っていたと言われた |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 現地の人々は自分を快く受け入れてくれ、積極的に自分から何かを学ぼうという姿勢があったこと。人懐っこくてフレンドリーなウガンダ人、その反面マイペースで日本では当たり前のようにしてきた仕事も、同じようには進められず根気よく続けなくてはいけなかった。 |
帰国してからの進路 | 臨床の場へ復帰しています |
後輩達へひと言 | まずは体験談を聞き、経験者に積極的に相談!(平成23年1月20日) |
■ 平方 美千子(ひらかた みちこ)
生年月日 | 1980年1月16日 |
現住所 | 兵庫県姫路市 |
簡単な学歴 | 2001年大阪ハイテクノロジー専門学校臨床工学技士科卒業 2005年から2006年までシーナカリンウィロット大学人間学部タイ語科留学(タイ国) |
簡単な職歴 | 2001年から4年間、板橋中央総合病院臨床工学科勤務 2006年から2007年までデンタルクリニックにて日本人カスタマーサービス担当(タイ国) 2007年から協力隊参加まで加古川市民病院総務課ME室非常勤勤務 |
資格・認定 | 臨床工学技士 第2種ME技術実力検定 |
派遣された年次 | 20年度3次隊 |
派遣国の簡単な紹介 | |
参加した一番の動機 | 学生の時、初めてインド・マザーテレサの施設でボランティア活動をしました。 そこで何もできなかった自分を通して、将来は海外で自分の技術を生かしたい!と強く思い続けていたことがきっかけです。 |
周りの反応 | 学生の時からずっと持ち続けていた夢が叶い、私と一緒になって本当に喜んでくれました。 |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 「病院」という組織の中から病院スタッフをはじめ、患者さん、家族、、、と地域に根を張って過ごせた日々、何よりよかったです。 |
帰国してからの進路 | 帰国後、短期ボランティア(同国、同職種)に応募 <現在、2次選考の結果通知待ちです・・> |
後輩達へひと言 | ひとつのことだけにとらわれない柔軟性、いくつもの武器(自身の得意分野)を持っていることがたいせつだと思います! |
■ 藤川 兼一(ふじかわ けんいち)
生年月日 | 1978年9月25日 |
現住所 | ウガンダ国、ムバレ県 |
簡単な学歴 | 平成13年 藤田保健衛生大学 衛生学部 衛生技術学科卒業;同年、臨床検査技師免許取得 平成15年 藤田保健衛生大学大学院 保健学研究科 修士課程終了; 修士取得 平成16年 藤田保健衛生大学短期大学 専攻科 臨床工学技術専攻終了;同年、臨床工学技士免許取得 |
簡単な職歴 | 平成16年 愛知県 医療法人 偕行会 碧海共立クリニックに入職 平成19年 岐阜県 医療法人 偕行会 中津川共立クリニックに転属 平成21年 退職 計;4年5ヶ月の臨床経験 平成22年1月~ JICAボランティア・医療機器隊員としてウガンダで活動中 現在、1年4ヶ月経過、残り任期約7ヶ月) 在職中は、主に人工透析業務として、看護業務・臨床工学技士業務に従事。同時に、超音波検査等の臨床検査技士業務も兼務。 |
資格・認定 | 臨床工学技士免許 臨床検査技師免許 3学会合同資格 透析技術認定士 第二種ME技術検定 |
派遣された年次 | 平成22年(2010年)1月;21年度3次隊 |
派遣国の簡単な紹介 | |
参加した一番の動機 | 昔からの夢であった海外ボランティア、10年間悩み続けて後悔したくないと思い青年海外協力隊に参加しました。 |
周りの反応 | 『やっぱり』、『そうだたと思った』などど意外とびっくりしてませんでした(笑) |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 【良かったこと】 まずは気候ですね。赤道直下なのですが、標高が1200mと高地のため年間20~30℃、湿度も非常に低いためとても過ごし易いです。そして、ウガンダの人達やウガンダに来ている他の国からの医療ボランティアの人達と交流を持て自分の見識を広げる事が出来ています。そして何よりもアフリカにこれた事、現地の人達と接しながら生活できている事。活動に関してもプライベートにしても本当に色々な事を考えさせられます。日本では決して経験できない事を沢山経験させてもらっています。 【困ったこと】 一番は文化の違い。技士的な問題で言うと、日本では当たり前の壊れる前に点検する等と言った『保守・点検』の考えが無いため壊れるまで修理しない事が日常的なので、修理が難しい事がたびたびあります。それに、何よりも、ウガンダに我々の様な『臨床工学技士』が存在しないので技術移転・臨床的なディスカッションが難しい事が一番の悩みですね。 |
帰国してからの進路 | 国境なき医師団への参加、JICA国際緊急援助隊への登録 |
後輩達へひと言 | 現在、アフリカのみならず各国で臨床工学技士のボランティア要請があります。ただ、医療機器という職種なのでなかなか認知度が低い事もあり、受験者が少ないと言う現実があります。発展途上国に行くと言うことで、帰国後、日本の技術についていけるかなと言う心配もあると思います。確かに、医療技術と言う意味では後退するかもしれませんが、それを補って余りある貴重な経験をする事ができ、自分の臨床工学技士としても一個人としても見識を広げられているので、海外ボランティアに興味を持ち、これからその道を目指してみたいと少しでもお持ちでしたら、是非、挑戦してみてください!! 『やらずに後悔するより、まずは第一歩を踏み出してみてください!!』 |
■ 駒走 拓三(こまばしり たくぞう) ※現在派遣中
生年月日 | 1972年9月 |
現住所 | Colombo Sri Lanka |
簡単な学歴 | 大阪ハイテクノロジー専門学校 臨床工学技士科卒業 日本福祉大学大学院 国際社会開発研究科 |
簡単な職歴 | 青年海外協力隊 ケニア 国際医療コンサルタント JICA短期専門家 エルサルバドル、グアテマラ 大阪市立大学医学部付属病院(中央手術室) 医療法人社団 仁成会 仁成クリニック JICAバングラデシュ事務所企画調査員(ボランティア事業)バングラデシュ JICAプロジェクト長期専門家(業務調整・病院管理)バングラデシュ JICAスリランカ事務所 企画調査員(ボランティア事業)スリランカ |
資格・認定 | 臨床工学技士 |
派遣された年次 | 平成28年(2016年)1月 |
派遣国の簡単な紹介 | スリランカはインド亜大陸の南端に位置する小さな島国で、北海道の8割位の面積に2000万人以上が住んでいます。主な民族としては、シンハラ人、タミル人、ムーア人で、それぞれが異なる文化を持つ多民族国家です。 また、世界遺産に青い海、アーユルベーダなどが有名で、日本の若い女性にも人気があります。 |
参加した一番の動機 | 国際協力に携わりたかったから。 |
周りの反応 | スリランカは観光が盛んなこともあり、「遊びに行きます!」という反応が多かったです。 |
派遣中の感想 (良かったこと、困ったことなど) | 良かったこと→街がきれいで、国内にいても観光地がたくさんあるため、飽きない。また、たくさんの国から来た人たちと一緒に仕事ができること。 困ったこと→同じ南アジアのバングラデシュと違ってスリランカ人はきっちり仕事をするため、仕事のやり方に慣れるまで時間がかかった。 |
帰国してからの進路 | 国際協力の現場 |
後輩達へひと言 | 国際協力における医療機器専門家のニーズは高いと思われますが、日本の協力人材が不足しています。人材が不足しているため、医療機器に関する要請が案件化しにくい状況となっています。もし、少しでも参加したいという気持ちがあればぜひ飛び込んでみてください。かならず何か得るものがあります。 |