【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第4回~

 

【かなちゃんパパ、大人気!】

 

 主夫は、仕事と家庭の両立というよりも、家庭を一番に考えて生活することを常に頭に置くようにしました。

 妻の方が職場に遠いので、保育園の送り迎えは私が担当でした。夕方6時まで(しか)預かってもらえない保育園へのお迎えはとても大変でしたが、仕事はスパッと切り上げて迎えに行きました。上司と私と部下の3名の部所でしたが、部の協力があったからできたのだと今でも感謝しています。

 お迎えから家に帰ったら、夕食を作るのと同時に洗濯をし、お風呂掃除をして妻の帰りを待つ。もちろん、離乳食も作りました。男の料理と言うのは、早くて上手いが定番です。冷蔵庫を開けて、3分で献立を決めます。必ずお味噌汁と野菜など3品は作りました。(今はもうできません。)夕飯ができるまで、娘は公舎の子供たちと遊んでいるのがいつもでしたが、3階の窓から「ご飯ができたよー!」と呼ぶと、公舎の奥様達が慌てて「うちも夕飯作らなきゃ!」と解散していくのが通例でした。

 雨の日に娘を保育園に送って行こうとしたところ、裸足で車から降りて家に走って帰っていってしまったことがありました。行きたくない気持ち、それはそれで大事にしないといけないのかなと思い、仕事を休んで一日中、家で遊びました。

 少し熱があって、保育園に「今日はちょっと熱っぽいかもです」なんて口を滑らすと、1時間後には迎えに来てくださいと連絡が入り、迎えに行ったことも度々あります。家に帰れば元気いっぱいで走り回るのが子供の常です。

 小学校までは、娘の行事(父兄参観や三者面談など。運動会や学芸会は夫婦で行きました。)には全て私が出ました。毎日、保育園、幼稚園にお迎えに行っているので、「かなちゃんパパ」は有名でした。幼稚園で、誕生日月の子供だけの参観日がありましたが「かなちゃんパパ」は大人気で、全同級生に囲まれて授業を始めることができなくなってしまいました。一緒に来られた2名のお母さんは、教室の端でこの状況が収まるのを見ているしかありませんでした。そんなお父さんを持つ娘は得意気でありました。そんな人気者の「かなちゃんパパ」は幼稚園の卒園式後の謝恩会では、満場一致で挨拶することになりました。

 小学校になると交差点の旗振り当番が回ってきます。「交通安全」の襷を斜めにかぶるのはやっぱり苦手。同じ職場の人に、車から手を振られたり、「朝、旗振りしてましたね。」と言われるのが恥ずかしかったです。妻が休みの日のエピソードですが、その日の旗振りが終わった方が自宅に旗を置きに来ましたが、妻に「旗振りのことは旦那さんが良くわかってらっしゃるので」と申し送りもせずに帰られたそうです。妻は、ちょっとムッとして、その報告を私にしたことがあります。でも、6年間で妻が旗振りをしたのは1回だけで、その日の夜には「もうやりたくない!」と言っていました。

 

第5回につづく

 

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