【父親の娘への愛情構築 ー出産までー】
私が結婚したのは24歳の時。周りからは、早いねー!と言われました。
私は3人兄弟の末っ子でしたが、学校の父兄参観日が大嫌いでした。教室の後ろに並んでいるお母さん達を見ると、私の母親がすごく歳を取っているように見えて、若いお母さんを見るととても羨ましく思ったものです。そんな経験から、自分の子供とは、親子関係と言うより友達関係みたいにいられるように若いうちに子供が欲しいと思っていました。
結婚してほぼ1年で妊娠が分かりましたが、前置胎盤と言う診断名がつき、出血したら流産ですと言われました。定期検診で出血したと連絡があり、病院に駆け付けたこともあり、その後の定期検診は必ず一緒に行きました。病院を変え、病休を取ることになりましたが経過は順調でした。
9カ月時の定期検診(1月3日で、前日は心臓外科の緊急手術で明け方まで働いていましたので一睡もせずに産科に向かいました)に行ったところ、成長が悪いと言うことで、正月早々、そのまま入院となりました。出産用に用意していた入院セットを取りに自宅に戻りと慌ただしい一日でした。1か月ちょっとの入院でしたが毎日面会に行きました。家に帰ってからの洗濯が毎日の日課で、洗濯物を包んであった縮緬の風呂敷を一緒に洗ったら、滅茶苦茶怒られちゃいました。
入院後、ちょうど1か月ぐらいの頃だったでしょうか、分娩監視装置の心音が遅くなるのを気にしていたところ病院から急遽呼び出され、帝王切開で出しますと言うことでした。サイレンを鳴らした救急車の音が病院の入口で止まり、手術室に向かってきたのは当センターの未熟児・新生児科のトップ2名。滅茶苦茶VIP待遇でした。出産後の娘は問題ないと空の救急車がサイレンを鳴らしながら帰って行きました。一緒に入院されていた方は、娘はどこかの病院に連れて行かれちゃったと思ったそうです。娘は、羊水過少で胎盤が首に巻きついていたとのことでしたが無事でした。
次の日に当センターのNICUに行くと、娘の入院用に用意された診察カードを渡されました。そのカードは今もお守りとして私のお財布に入っています。娘のために用意された開放型保育器には、私と同じ名字の男の赤ちゃんが入院していたと言う奇遇もありました。
少し長くなってしまいましたが、出産までの経過を夫婦で分かち合うことで、父親としての娘への愛情構築が上手く出来た要因を伝えたかったからです。その後、2度、妊娠はしましたが育たず、医師より「一人目のお子さんができたのは奇跡です。」と言われたのも、愛情構築の一つになったと思います。
第3回につづく
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