かなちゃんパパの奮闘記

 

【連載start!(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第1回~

イクメンの臨床工学技士より「両立」の記事が届きました!

このブログでの初の試みとして【連載(全7回)】として掲載させていただきます。

 

【娘自慢の人気者、かなちゃんパパの奮闘記 ~プロローグ~ 】

kanapapa01最近、育児に参加する夫のことを「イクメン」と呼ぶようですね。

私が育児をしていたころは「主夫」と名乗っていました。この「主夫」なんて言葉もなかった時代でしたが、今、キーボードで「syufu」と打ってみたら、「主夫」と変換されびっくりしました。

さて、かなり昔のことではありますが、私が、「主夫」をしていたころの経験と職場環境について振り返ってみたいと思います。

 

現在の家族構成は

私:47歳(臨床工学技士)
妻:49歳(看護師(師長))
娘:21歳(大学4年生、就活奮闘中!)

 

 

【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第2回~

【父親の娘への愛情構築 ー出産までー】

私が結婚したのは24歳の時。周りからは、早いねー!と言われました。

私は3人兄弟の末っ子でしたが、学校の父兄参観日が大嫌いでした。教室の後ろに並んでいるお母さん達を見ると、私の母親がすごく歳を取っているように見えて、若いお母さんを見るととても羨ましく思ったものです。そんな経験から、自分の子供とは、親子関係と言うより友達関係みたいにいられるように若いうちに子供が欲しいと思っていました。

結婚してほぼ1年で妊娠が分かりましたが、前置胎盤と言う診断名がつき、出血したら流産ですと言われました。定期検診で出血したと連絡があり、病院に駆け付けたこともあり、その後の定期検診は必ず一緒に行きました。病院を変え、病休を取ることになりましたが経過は順調でした。

9カ月時の定期検診(1月3日で、前日は心臓外科の緊急手術で明け方まで働いていましたので一睡もせずに産科に向かいました)に行ったところ、成長が悪いと言うことで、正月早々、そのまま入院となりました。出産用に用意していた入院セットを取りに自宅に戻りと慌ただしい一日でした。1か月ちょっとの入院でしたが毎日面会に行きました。家に帰ってからの洗濯が毎日の日課で、洗濯物を包んであった縮緬の風呂敷を一緒に洗ったら、滅茶苦茶怒られちゃいました。

kanapapa02入院後、ちょうど1か月ぐらいの頃だったでしょうか、分娩監視装置の心音が遅くなるのを気にしていたところ病院から急遽呼び出され、帝王切開で出しますと言うことでした。サイレンを鳴らした救急車の音が病院の入口で止まり、手術室に向かってきたのは当センターの未熟児・新生児科のトップ2名。滅茶苦茶VIP待遇でした。出産後の娘は問題ないと空の救急車がサイレンを鳴らしながら帰って行きました。一緒に入院されていた方は、娘はどこかの病院に連れて行かれちゃったと思ったそうです。娘は、羊水過少で胎盤が首に巻きついていたとのことでしたが無事でした。

次の日に当センターのNICUに行くと、娘の入院用に用意された診察カードを渡されました。そのカードは今もお守りとして私のお財布に入っています。娘のために用意された開放型保育器には、私と同じ名字の男の赤ちゃんが入院していたと言う奇遇もありました。

少し長くなってしまいましたが、出産までの経過を夫婦で分かち合うことで、父親としての娘への愛情構築が上手く出来た要因を伝えたかったからです。その後、2度、妊娠はしましたが育たず、医師より「一人目のお子さんができたのは奇跡です。」と言われたのも、愛情構築の一つになったと思います。

 

 

 

【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第3回~

【主夫としての自立】

kanapapa03妻は、仕事復帰を希望していたので、私の実家を建て直して、私の両親に娘を預けることにしました。

引っ越し後、娘は私の両親に懐かず(初孫であったことや脳出血で片麻痺が若干残る祖母の不安と愛情表現の下手さなどが原因)、結局、妻は涙を流しながら保育園を探しました。実家にいながら保育園に預けると言う妻としては許せない気持ちでありました。

夫婦の危機がありましたが、夫は絶対に妻の味方でいることを忘れないように心がけました。良い家庭環境が構築できなかったことに合わせ、祖母が2回目の脳出血を起こして入院したのを契機に、約半年で私の職場の公舎に引っ越しました。

引っ越しと同時に購入した10万円の軽自動車で、主夫の奮闘が始まりました。

 

 

【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第4回~

【かなちゃんパパ、大人気!】

主夫は、仕事と家庭の両立というよりも、家庭を一番に考えて生活することを常に頭に置くようにしました。

妻の方が職場に遠いので、保育園の送り迎えは私が担当でした。夕方6時まで(しか)預かってもらえない保育園へのお迎えはとても大変でしたが、仕事はスパッと切り上げて迎えに行きました。上司と私と部下の3名の部所でしたが、部の協力があったからできたのだと今でも感謝しています。

お迎えから家に帰ったら、夕食を作るのと同時に洗濯をし、お風呂掃除をして妻の帰りを待つ。もちろん、離乳食も作りました。男の料理と言うのは、早くて上手いが定番です。冷蔵庫を開けて、3分で献立を決めます。必ずお味噌汁と野菜など3品は作りました。(今はもうできません。)夕飯ができるまで、娘は公舎の子供たちと遊んでいるのがいつもでしたが、3階の窓から「ご飯ができたよー!」と呼ぶと、公舎の奥様達が慌てて「うちも夕飯作らなきゃ!」と解散していくのが通例でした。

雨の日に娘を保育園に送って行こうとしたところ、裸足で車から降りて家に走って帰っていってしまったことがありました。行きたくない気持ち、それはそれで大事にしないといけないのかなと思い、仕事を休んで一日中、家で遊びました。

少し熱があって、保育園に「今日はちょっと熱っぽいかもです」なんて口を滑らすと、1時間後には迎えに来てくださいと連絡が入り、迎えに行ったことも度々あります。家に帰れば元気いっぱいで走り回るのが子供の常です。

小学校までは、娘の行事(父兄参観や三者面談など。運動会や学芸会は夫婦で行きました。)には全て私が出ました。毎日、保育園、幼稚園にお迎えに行っているので、「かなちゃんパパ」は有名でした。幼稚園で、誕生日月の子供だけの参観日がありましたが「かなちゃんパパ」は大人気で、全同級生に囲まれて授業を始めることができなくなってしまいました。一緒に来られた2名のお母さんは、教室の端でこの状況が収まるのを見ているしかありませんでした。そんなお父さんを持つ娘は得意気でありました。そんな人気者の「かなちゃんパパ」は幼稚園の卒園式後の謝恩会では、満場一致で挨拶することになりました。

kanapapa04小学校になると交差点の旗振り当番が回ってきます。「交通安全」の襷を斜めにかぶるのはやっぱり苦手。同じ職場の人に、車から手を振られたり、「朝、旗振りしてましたね。」と言われるのが恥ずかしかったです。妻が休みの日のエピソードですが、その日の旗振りが終わった方が自宅に旗を置きに来ましたが、妻に「旗振りのことは旦那さんが良くわかってらっしゃるので」と申し送りもせずに帰られたそうです。妻は、ちょっとムッとして、その報告を私にしたことがあります。でも、6年間で妻が旗振りをしたのは1回だけで、その日の夜には「もうやりたくない!」と言っていました。

 

 

 

 

【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第5回~

【仕事と家庭の両立】

kanapapa05ここまでは、私の「主夫」としての奮闘記?を述べてきましたが、妻も仕事と家庭を両立するための苦労はたくさんあったと思います。やはり、基本は、夫婦がタッグを組んで育児に取り組む姿勢なのだと思います。と言うより、妻の方が私を上手く手の上で転がして、それに乗って私が奮闘していたのかも知れません。妻の操り人形としては上出来だったと思います。

しかし、全て妻と二人でできたわけではありません。私も妻も、職場の協力もあり、理解して頂いたからだと思います。また、妻(マイコプラズマになりました)や娘(川崎病で入院しました)、私(1か月のアメリカ研修がありました。副鼻腔炎の手術で入院しました)が長期的に人手を必要とする時には、妻の実家の皆さんの助けがあったからと感謝しています。

公舎が私の職場の裏にあり、保育園の送り迎えなどの立地条件として良かったこと。保育園と幼稚園が一緒に経営されているところで、幼稚園までは友達や親御さん達との関係が作れ、小学校までもそれが継続できたなど、いろいろな条件が良い方向を向いていたのだと思います。妻と私の二人で仕事と家庭の両立がほぼできたのは、たくさんの方々の協力以外に何もありません。感謝してもしきれないぐらいです。

 

 

【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第6回~

【部内、上司としての環境】

自分を含め、家族が病気になったりして急に休みを取らなければならないことは当たり前のことの様に起こります。3名が2名に欠けることは業務を遂行するのには厳しい状況になりますが、「お互い様」と言う当たり前の気持で、休まなければいけない時は、快く「休んで大丈夫だよ」と答えられる気持ちを持っていることだと思います。

部門の長になった時は、常々、私自身が協力してもらって両立できたことを伝え、「今は協力する立場ばかりになるかもしれないけど、いずれ協力してもらわなければいけない立場になることが絶対あるから、「お互い様」と言う気持ちを忘れないで協力しあって業務にあたってほしい」と伝えていました。

kanapapa06また、これは上司としての立場をしっかりと持たないといけないことですが、臨床工学技士には様々な仕事を頼まれ、増加する一方だと思いますが、5名いる部所であれば、4名で100%こなせる業務を考えて、依頼される業務を調整することです。特に長期的な仕事に対しては十分な検討をしなくてはなりません。お断りすることはとても難しいことですが、5名で100%の仕事を請け負って、誰かが長期的に休まなくてはならなくなり、自転車操業で5名分の仕事を4名でこなせたとしても、心に余裕がなくなれれば事故につながるかもしれません。更に誰かが風邪をひいて休むなんてことになり、業務が継続できなくなった時に一番に迷惑を被るのは患者さんです。5名だったら4名で100%の仕事量。このぐらいの業務量に調整し制御することが上司の役割でもあるのではないでしょうか。

 

 

【連載(全7回)】かなちゃんパパの奮闘記 ~第7回(最終回)~

【おわりに】

kanapapa07私の経験談を書かせて頂きましたが、出産前からの「主夫」をしてきたことで、娘との関係構築は二十歳を過ぎた今でも上手くいっています(多分…)。「友達関係」と言う私の望みも叶ったようです。今でも時々、娘と焼き鳥屋で酒を飲むなんてこともしています。こんな幸せがいつまで続くでしょうか…(酒豪は父譲り。すでに私を越えている娘に戦いを挑む気持ちはありません…)。

最後に、我が家の愛犬・マックス(♂)の成長を見て頂けましたでしょうか。 犬種はパピヨン。3カ月で我が家に来た時は600gでしたが、3歳となった現在の体重は6Kgです。ペットショップで妻が一目ぼれして購入。 購入時の説明を受けると、子供ができた時の様な緊張感と育てられるだろうかと言う不安感を持ちました。無事に3歳を迎え、我が家の大事な息子、ハンサムボーイは大活躍中です!

 

Fin

 

 

【連載】かなちゃんパパの奮闘記 ~掲載を終えて~

イクメン(ベテラン臨床工学技士)の「両立」の記事の掲載を連載させていただきましたが、いかがでしたか?

“参考になった”などのお声をいただきました。ありがとうございますm(__)m
私見ですが、連載を振りかえり、ポイントを挙げさせていただきます。

 

<パパ、夫として>

※ 出産までの経過を夫婦で分かち合うこと
※ 育児にパパが参加したことによる娘さんとの愛情構築
※ ご両親との生活
※ 主夫の家庭と仕事の両立
※ 子供の発熱など
※ 娘の行事への参加
※ 小学校の交差点の旗振り当番
※ 妻と夫とのお互いの協力
※ 職場の協力
※ 職場や保育園の立地条件
※ 幼稚園・小学校の友達や親御さん達との関係

 

<上司として>

〇自分を含め、家族が病気になったりして急に休みを取らなければならない時

〇臨床工学技士は様々な仕事を頼まれ、それが増加する一方

5名で100%の仕事を請け負って、誰かが長期的に休まなくてはならなくなり、自転車操業で5名分の仕事を4名でこなせたとしても、心に余裕がなくなれれば事故につながるかもしれない。更に誰かが風邪をひいて休むなんてことになり、業務が継続できなくなった時に一番に迷惑を被るのは患者さんです。5名だったら4名で100%の仕事量。このぐらいの業務量に調整し制御することが上司の役割でもあるのではないでしょうか。

 

今回の連載では多くのことを学ばせていただきました!

長編の記事を書いて下さり、本当に感謝いたします=^_^=

kanapapa01

愛犬 マックスくん、可愛かったですね。

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